佐々木健人先生 軌跡


佐々木健人

幼少〜少年時代

*小さい頃から記憶力が良く、生まれた時の事を自分が見てきたように話をするので、叔母たちがそれで?と言うと得意気になって話していた。

*当時父親は保険会社重役をしていたため金銭的に豊かで、ねえやが3人いて当時高価だった牛乳風呂に入ったり、毎週家族でビフテキを食べに行く家庭であった。夏には避暑も兼ねて桃畑を持っている丹後由良の知り合いの家に1か月間宿泊。一日に26個桃を食べたと言っていた。

*部屋の窓に小さい飛行機の模型を接着剤でつけて、まるで飛行機が空を飛んでいるようにしていた。どこで入手したかわからないが当時にしては珍しい接着剤だった。

*小学校は学区外の滋野尋常小学校に越境入学した。当時にしては珍しい障害児学級もあった(京都では唯一)。当時の校長と父秀一が知り合いだったため。そこの校長が脳の研究をしていた。

*みんなはゴム靴を履いていたが自分だけ革靴を履いて通学した。

*級長をしていたのは成績が良かったからだと思うとの事。

学生時代

*京都市立第一商業学校入学。第49回生で卓球部所属。※マクロビオティック創始者桜沢如一の出身校。後に同窓会誌に桜沢氏の偉業を寄稿。

*昭和16年、機関工を目指し阪神飛行学校入学。

*戦争勃発。戦争中はプロペラ研究所で研究開発。

*プロペラで左腕を切断、一週間意識が戻らなかった。

戦後

*折りたたみ自転車を作ったが理解されず没になった。また大人用3輪自転車も作ったが製品化されなかった。

*宮津には輸出産業がないので、アメリカで流行していた模型飛行機のエンジンを試作したが商業ベースには乗らなかった。

*飛行機の材料でトランクを作る。接着剤は飛行機用のもの。伝熱棒のようなものにあてて曲げ、板の無駄がないように計算した。一時宮津の裕福な家の娘さんたちが洋裁道具入れとして持っていた。銀座のカバン店に並んでいたとの事。

トランク写真

トランク宣伝写真

*宮津のケーブルカー(日本一小さい)の設置にかかわる。股のぞきと反対の場所。

*また宮津線天の橋立駅前の中屋旅館の宴会場(120畳)のカーテンを両脇に折りたたんでしまう装置を設計。

*小天橋の池に渡すコンクリート製の橋を発案。素人でもできるように設計して作らせた。

*戦後飛行機工場にストックしてあった耐水べニア板を払下げてもらいヨットを作った。観光地にヨットがないのはさびしいので一艘だけ作った。

*オルゴールを製作。布地を丹後ちりめんの布見本を使う。中板は段ボールで四角の布が重なって厚くならないようにきちんと裁断して張る。文字シールなどは特注。これを地場産業にしようと考えた。現在祇園小唄と宮津節のオルゴールが残っている。

*昭和24年三島一声さんの紹介で結婚。

会社員時代

*プロペラ研究所で一緒だった柏原学さんに誘われてシンポ工業入社。

*リングコーン(無段変速機)は京都で良く売れていたが、東京への進出を図るため東京営業所を作り所長として赴任。

*高度経済成長期で良く売れたがメンテナンスや故障の修理などで忙しく過労死寸前になる。

*その頃、漢方医渡辺操さんに出会い体調を回復する。東洋医学の真髄に触れる。

*シンポ工業の主力商品である無段変速機は将来伸び悩むと考え、「ろくろ」を製造。各地に陶芸教室を作り販売促進。当時は文部省の予算があったので文部省にかけあい各学校に設置。

≪農業との出会い≫

*シンポ工業時代、電気機械の発達で無段変速機にとって代わるものが出るかもしれないと考え、農業分野のリサーチを行っていた。

退職後※55歳〜

*モーリスの社長と知り合いになり、農薬を節約する散布機械を作ってほしいと言ってきたので退職後モーリスで働く。 モーリス時代農薬を細かくミスト状に散布する装置を作っている会社に売り込みに行ったが売れなかった。そのためそれを持って農家に売りに行った。

*農業用ハウス会社の社長が温水を均等にまわす装置を開発。この人が天才的な人でバイヨンという植物活性剤を作った。この人から植物の観察を通して植物の見方を教えられた。佐々木さんだったらできるからと農業関係をやるように勧めてくれ、植物をよく見るようにと教えてくれた。

≪K先生との出会い≫

*テレパシー同人誌に互いに投稿していた縁で、後に佐々木氏の師匠となるK氏と知り合う。

*K氏から農業分野を託される。

*K氏が開発した植物活性剤の改良研究を重ねる。後のオルガランドに繋がる。

*K氏から天与の霊水を託される。後のHPCウォーターに繋がる。

*日本サイ科学会や日本綜合医学会などに参加。自然療法から精神世界まで幅広い分野を探求。

*著名な霊能者・宗教者・密教行者・超能力者・ヒーラーなどと面会し真贋を調査。

≪マクロビオティック指導家との交流≫

*マクロビオティック日本CI協会本部:故花井陽光氏。

*クシインスティチュートインターナショナル:故久司道夫氏。※原子転換というヒント(執筆協力)

*マクロビオティック日本CI協会本部:細川順讃氏。

*桜沢如一記念会館:山本悌一郎・山本祥園。

≪著名人との交流≫

*藤原肇氏。

≪研究者との交流≫

*原子力工学者:水野忠彦氏。※常温核変換

*工学博士:早坂秀雄氏。※反重力

*小牧久時氏※ノーベル医学・生理学賞候補

≪療法家との交流≫

*代替医療研究:熊澤浩明氏

*東洋医学:田中実氏

*鍼灸医:濱添圀弘氏

*漢方医:渡辺操氏

≪環境保護活動≫

*小型低落差発電の普及。

*クリーンエネルギーフォーラム役員。

≪低温核融合国際学術会議≫

*ICCF6〜7参加。

≪原子転換実験会≫

*全国で子供も参加できる実験会を開催。

実験会の様子(電気通信大学による計測を実施)

≪有氣農業研究会発足≫

*土壌活性剤オルガランド完成。

*全国各地で農業グループセミナー実施。

*全国各地で農家の個別直接指導を実施。

≪HPCウォーター研究会発足≫

*桜沢如一氏の原子転換実験の追試。

*土壌改良材研究中に常温での原子転換を実証。

≪命の食の力:連載≫

*パワースペースにて長期連載。

≪最後のロマン:出版≫

*東京音頭で一世を風靡した昭和初期の民謡歌手:三島一声の人生録出版に尽力。

≪その他≫

私が先生にお供した貴重な経験の幾つかを記しておきます。

■秋田のシラカバ農園の農業指導と低落差水力発電機設置の相談。
■熊本のトマトや米作りの農家指導と地元農協の視察。懇親会。
■日本初の電気スクーターの試乗会。
■ドイツ製最新波動治療器の発表会。
■超電導の実験会。
■電気通信大学の学生が検証した原子転換実験会。
■京都での反重力研究の早坂氏との会談。
■大阪でのパニック症候群患者のミーティング。
■風力発電メーカーの視察と懇親会。
■釜鳴の三角氏による名家の除霊。
■海外の宝石王との会合。
■京都六角田中医院での対談。
■HPCウォーター会員大阪ミーティング。
■危険な巨大水晶が齎した霊的被害の検証。
■有名な霊能者京田辺の品川和尚との対談。
■著名な物理学者の集まり「もののけの会」参加。
■小牧博士や水野博士との会合。


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